映画『ソーシャる・ネッ戸ワーク』を観た。
映画のモデルとなったSNSサイト=faceb00k。
エジプトのデモを実現させ、革命をここまで急速に発展させた要因のひとつとして注目を集めているfaceb00k。なぜfaceb00kがそれほどの威力を示したのか?なぜ他のSNSではなく、faceb00kであったのか?
それはfaceb00kが実名で参加するSNSだから。
発言元を明確化し、発言に責任を持たせるfaceb00kは、サイトでの発言をリアル世界の原動力に直結させるのである。
なぜfaceb00kは実名登録なのか?
このサイトが生まれた経緯を、この映画のストーリーから憶測してみた。
(以下、ちょっとだけ映画のネタばれあるので閉じますv)
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なぜfaceb00kは実名登録なのか?
主人公マークが欲しくて、ぶっ壊したくて、妬んでいたものがある。
それは親友エドゥアルドやウィンクルフォス兄弟が入って自分が入れなかった社交クラブである。
入れないなら自分が作る。
自分が誰を入れるか選ぶことのできる会員制クラブである。
一定のステータスを持った、品質信頼性の高い排他的なクラブを、サイトの中に作ったのである。
それは実名であるがゆえに、実世界に直結したコネクションを開拓でき、しかも簡便に人間関係を構築できる。うまくいけばビジネスにだって活用できる。捜し求めている人が地球の裏側にいたってめぐり合える。
これらの利点を武器にして、faceb00kは次第に会員数とアプリケーションを増やしていき、ネットの世界だけで終わらないコミュニケーションツールとして世界に存在意義を確立していったのである。
さて、この映画を2000年代を象徴する映画としてみるとき、デジタルネイティブという新世代を読み取ることができる。二つの大戦を経験し、大きな価値観の転換を経験した高齢世代と、夢や希望への信頼、社会への信頼と期待を抱く事のできた団塊世代、バブルと終身雇用の崩壊、就職氷河期を体験した現実主義の30~40代……そしてその下の世代がデジタルネイティブである。
マークやショーンは、このデジタルネイティブの象徴だ。
デジタルネイティブは生まれたときからネット社会を経験している世代であり、その特徴とは、「現実の出会いとネットでの出会いを区別しない」、「相手の年齢や所属肩書にこだわらない」、「情報は無料と考える」……映画はこの観念を中心に回りはじめる。
「ウケるか、ウケないか」「クールであるかどうか」が大きな価値基準である。自分のセンスが信念の拠り所である。サイトへの広告掲載はクールでないから却下。
社の完成型は存在しない、ファッションと同じで成長し続けるもの。だからその成長の原動力である会員からはお金を取らない。
それなのに、なんでそんなにfaceb00kの時価総額は上昇していくのか?どっから儲けが出ているのか?上から下に流れていくと思っていた金が、空中から湧き出したり横から流れてきたりしている。
……なぞの世界である……。
映画そのものの感想。
と に か く、
役者がうますぎる!!!
マークのジェシー、エドゥアルドのアンドリュー(この人が可愛すぎるw)、ショーンのジャスティン、こりゃナイス・キャスティング!!なんかもーあまりにハマりすぎて、実際の人物より『その人らしい』んじゃなかろうかwww
そして音楽が!
いろんなジャンルの音楽を使っていながらバラつきがなく、見る側のテンションを巧いこと上げ下げしてくれる。ゾクゾクする陰気で狂気じみた場面にウーハーがめちゃめちゃ効いたテクノを使ったり、役者が吃驚仰天してハデに転倒しまくる場面に、教会で聖歌隊が厳かに歌う背景を設置したりwww、音楽がもたらす相乗効果がと に か く 、素晴らしいと思います。
今回はフィん茶ーならではのハデな映像演出は控えめで、「役者の演技を中心に撮る」という感じでした。faceまっしゅの場面だけ比喩的映像演出があって、「お!くるぞくるぞ♪」と胸をときめかせたんだけどソコだけだった感じ。
だけどなぜか、セリフのない部分こそが面白く、マークがアイデアを思いついて一心不乱にPCに向かうところとか、こっちも息をのんで画面を見つめちゃうんです。
映画のラスト。
マークがfaceb00kのエリカちゃんのページに「お友達希望」のメッセを送り、更新ボタンを延々と押し続けるラシーン。これ、人間の孤独さという普遍的な姿を描写しているわけだけど、うまいよね~。
100万人のユーザーを集めた人物が、たった一人の『フラれた彼女』から、「お友達認証」をもらえないなんてさ……映画冒頭にもどるって感じだねえ。
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