↑角田光代の「森に眠る魚」を読んだ。
怖くてたまらないのにページを繰る手が止まらず、ほとんど一晩で読んでしまった。
(以下、はっきりしたネタバレはないですが長文です)
価値観も生活環境もバラバラな5人の母親が、『お受験』をきっかけにつながりを持つようになり・・・というゴシップ的な話なんだが、やっぱなー、角田光代は『女』のリアルを描かせたら天下一品だな。
なんでこうも多彩な、奥行きのある登場人物を描けるんだろう。
性格や髪型、服装だけでなく、各々が生まれながらに持つ性格までリアルに描写する筆力に感嘆した。
たとえば彼女たちが食卓に出すメニューには彼女たち自身が反映される。喫茶店で子供に何を注文するかに至るまで、丁寧に彼女たちの心情が反映される。
その一方で、その、一見バラバラな性格に見える女たちを一皮むけば、そこには中学生・・・いや、それよりもっと幼かった頃、保育園や幼稚園のころから存在する、女性ならではの複雑な心理が、無個性に存在している。
読む側はとても不思議な感覚を覚える。
それは強烈なデジャブでもある。
女の集団なら常にある羨望や嫉妬を、「お前にもあるだろう」と生々しく暴かれたように感じるのだ。
作品はたまたま『お受験』がらみのストーリーだが、もともとのテーマは普遍的なものだ。5人の関わりは女性ならどこかで、どのようなカタチかで、一度は経験した事のあるエピソードなのだ。
中盤から先は、どこにでもあるような女同士の関係が、一気に沸騰して越えてはならない一線をこえてしまい、どんどん怖いことになっていくのだが、読む手が止まらない。深夜に読んで激しく後悔した。
だけどどんなに彼女たちの言動が狂っていっても、その女たちの真の心の悲鳴を否定できないんだなー。
この心の叫びは、決して特別なものではない。
この国のそこかしこに、日常的ににあふれていると思う。
たとえば先日自分が愚痴ったとおりの内容が作中に出てくるわけで(毎日することがたくさんで、帰宅してから寝床にたどり着くまでが遠い等・・・苦笑)、誰からも評価されることのない『主婦業』の中から生まれる叫びであったりする。不覚にも作中のいくつものその叫びに何度も涙してしまった。
角田はその「叫び」の正体を、表題で示している。
作中で何度もリフレインされる言葉がある。
「私、どうしてここにいるんだろう?」
5人の描写の随所に、自分の心の隅で迷って途方にくれている『魚』を発見する。
森に魚は住めない。
魚は水辺に帰りたいのだ。
子供の助けを求める声には我を忘れて一目散に駆け寄るのに、母親は自分の心の悲鳴が聞こえない。
翻弄されて森で迷い、水辺に戻りたがっている自分の心を。
ほんとうはいじらしく美しく、家族想いで心豊かで、良いところ満載のとても素敵な5人なのだ。
とんでもない場所に集ってしまったゆえにおきた悲劇なのだ。
海に戻れば、川に帰れば、池や湖に住処を移せば、みんなもとのように活き活きと健康的になれるのだ。
そう示唆されてようで、されていないようで・・・・(笑)
登場人物たちがラストに『前進』するような明るい作品ではなく、1ミリも上昇できない螺旋階段を延々と踏みしめているような感覚に陥るのだが、だからこそ地に足の着いた、強いメッセージを感じる作品でした。
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