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いきなり若かりしころの松がでてきて『うにょ~v』と思ったが・・・ト書きト書きト書きト書き・・・・で・・・・・・・(沈)しかも、このト書きの内容って、多くの読者があらかた予想してた内容なんじゃ・・・・?新しい発見がひとつもないんですが・・・・・・いらないと思うんですが・・・・(汗)
今回、てんていと編集者にひとつだけ不満をいうとしたら、このト書き!
過剰な説明って、要らないんですよ、『物語』には。
それよりもキャラの口から吐かれる、人間臭い、生身のコトバが欲しいんです。だって残り一話なんでしょう?我々がキャラの声を聞けるのは、あと一話なんでしょう?その貴重なページ、貴重なコマ、それをありったけ使って欲しいのは、ストーリーの辻褄あわせでも説明でもなく、キャラの声なんですよ!
もったいねえなあ・・・。
じつにもったいないページだ。
まあね、必要なページっつったらそうなんだろうけどね。
・・・にしては・・・えらい駆け込みようで中途半端な印象。
説明するならもうちょっと欲しい部分があるんだよ。
帯に短し襷に長し、な説明、『ト書き』なんだよ~(涙)
確かに、草加がいなくなって、みらいクルーもいなくなった状態でストーリー展開するのは意味がないのですよ。ト書きでまとめちゃうの、アリだとは思うんですよ。だって、草加がいないんだよ?みらいがいないんだよ?みんないないんだよ?
なにを描くの?なんだよ。
この物語の『回答』のひとつは、前回の航跡420で語られたから・・・ってのはわかるんだよ。もうエピローグなのもわかってるんだよ。
でもねー、それにしてもねー、ガ島の頃の、みらい三羽vs米三羽の頃の、あの躍動感、臨場感はどこへいったのさーーー?!みっともないけど人間臭い、五感を刺激するような描写はどこに行ったのさ!!!
ドライすぎるのさー!
生きたフキダシが欲しいのさー!!
(この終わり方、オトナの事情が絡んでいるんだろうか?ないと信じたいものだよ、まったくー!)
はい。
不満はここまで!!!!
(てか他にも細々とあるけどもう止めるwwww)
すごいのは、26年後!
終戦が1944年。
皆さん電卓用意しましたか?
たす、26年=1970年・・・・・・・・・・ええ、ええ、そのとおり!
松、栗、菊の生まれ年ですよーーーwwww
来た来たーーー!!!もお・・・どゆこと????てんてーーー!!
ハァハァハァハァ!!
てんてーーー!!!(爆笑!
すでに自分の鼻息が荒くて、
吐息のたびに鼻汁が吹き飛んでいきますよ(笑!
おーけーおーけー。
だいじょーぶだいじょーぶ!
そーてーどおり。
して、次号ォ!!
でもぶっちゃげ、もっと先に飛ぶと思ってたんですよ。
200×年まで飛ぶと思ったさ。(この×って、今更意味あるのかいな?w)
・・・・・・次週、また二回未来飛びしたりして。
滝が!
総理に?!
ゴメン!あのね、いい意味で・・・
多分すごく嬉しかったんだと思うけど、大笑い!(←なんでや)
上り詰めたなー!
さすがだよ!
まっつんは結局、船上を終の棲家にするのかなー。
いや、某姫『土から離れては生きられないのよ!』だしなーwwww
でもやっぱり、海の上にいるのが一番幸せそうだよこの人。
つうか、すげークルーザーだな!!さすがだよ!!
この時代に無線やアンテナ満載のこの豪華クルーザー!
いとも簡単にすげー!!wwww
なんか、滝も松も穏やかで、表情も明るくて、救われます。
ふたりとも活路を手にした実感があるって感じです。
一方。
たっくんが・・・・・うちゅーじん伝説に?!
ちょっと唐突すぎて・・・・・ごめん・・・・・!
(この展開だと、結局核はこの世界に誕生しなくなったってことでしょうか?)
まあ、確かにこの世には都市伝説ってあるわけで、在り得ない事象があるわけで、それに触れるとロクなことがないわけで、『この世に在り得ない二人の人間の位置づけ』としては結論つけられるのかもしれません。
・・・・・でもなー・・・・・・
やっぱり私にとって角松も草加も一人の生身の人間なんだよ。
これまで一緒に旅をしてきて、彼らを媒体にして泣いたり笑ったり怒ったり感動したりしてきたわけで、近しいもの、親しいものを感じたりしてきてたんですよ。
なんか・・・・・聖人とか宇宙人とか・・・・・
急にえらい遠いところに連れて行かれちゃったなあ・・・・・・・・寂・・・・・うん・・・寂しいなあ・・・・・・・・・・。『表の歴史上』では、とはいえ、絵空事の言葉で彼らの軌跡を十把一絡げで括られちゃうのかあ・・・・・・・・・・もっと他の言葉はなかったのかねえ・・・・・・なんて空しくおもったりしました。いっそ、語られることもなく・・・のほうが、儚くも美しかったかもしれないなあ・・・・と思います。
けれど、草加とみらいクルーにまつわる事の多数の目撃者がいて、その全部の口を塞げない限りその『伝説』は消えることがない。だからそういう絵空事の言葉が生まれて当然といえば当然なんだけどね。
でもやっぱ、『物語』にそういう辻褄合わせはいらないんじゃないかなあ・・・・なあんて思っちゃうんです。
こんな感じでうんうん悩んでしまってます。
でも、比較的穏やかな気持ちで、とりあえず祝う気持ちで、
来週号を待とうと思っています。
カーテンコールの際には、客も役者も演出家も、みんなで泣き笑いして幸せな顔を晒し合いたいからですね。
皆さんはいかがでしたか?
↓ :ちなみに腐れ場:
今回もてんていが盛大な『余白(年単位!)』を用意してくださいました!(笑!
某腐女史どのが、『満載~~~vvv』と祭っておりました!
我々も逞しき腐女史でありましょう!!!
あと、松が車椅子になったのは、戦後の苦労で左脚に過剰な負担がかかり、右足同様に使えなくなってしまったから・・・・・・と勝手に推測(ええ・・・・すごい腐妄想ストーリーが出来ておりました・・・・・ハァハァ・・・・)していただけに、若かりしころの松がすでに車椅子に乗ってた描写にはポカンとなった・・・・悪いの右脚だけなんだから若いんだし普通は杖だろ!って思った・・・・・・はい・・・勝手な思い込みっすwwww
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