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運命つうのがあるとかないとか、一体どういうものなのか、いまいちピンと来なかったんですが、この年になってわかるようになったかもしれない。
おばあちゃんは戦争に関わる大騒動があったわけで、母は事業に関する大騒動があったわけで、きっと自分もなんか『大騒動』を乗り越えなきゃなんないんだとずっと覚悟してきました。
子どものときから自分は何が当たるのか、ずっとそれが怖かったんですが、数年前、その正体に気付きました。
恐ろしいのは、
これまでの人生で、ちゃんとその正体に立ち向かうためのアイテムが用意されていて、気付いたらちゃんと自分がアイテムを手にしていた、ということです。
もちろんアイテムを拾ったときは、それが後で重要な武器になるなんて知りませんでした。
しかもそのアイテム、自分が欲しくて探したもんじゃありません。
自然の流れで、誰かの一言で、足がそっちに赴いて・・・という感じです。
神様って怖いです。
「はい。あげるもんはちゃんとあげたからね、あとは自分がやるしかないんだからね」・・・だって・・・・・。
たっくんが1巻で、「32年間はこれを知るためにあった」と言いましたが、まさにあの気持ち、あの発見、あの恐怖、あの驚き、あの台詞そのままでした。
運命っていうのは、好きな人に出会うとか、好きな仕事に就くとか、夢を見つけるとか、そういうものだけじゃないんですね。むしろ、自分の望んでもないもの、自分が見向きもしなかったもの、まったくの未知のものがその正体であることが多いようです。
だいたいが『輝かしい夢』ではなくて、自分の立ち向かいたくないものだったり、もともとは関心のなかったものだったり、面倒な壁だったりするようです。
でも正体さえわかれば、それが自分の運命なんだとわかれば、人間なんとなく腹をくくれます。
好きだろうが嫌いだろうが興味がなかろうが、乗り越えなければ前に進めなくなるからです。
ところで、村上/龍の作品『限り/なく透明に近いブルー』にこんな一節があります。
(うろおぼえです)
壁に這い出してきたゴキブリを、瞬時に主人公がスリッパで叩き潰します。
つぶれたゴキブリを見て主人公は思います。
「きっとゴキブリは、自分を叩き潰したものの正体がスリッパだなんてわからぬまま死んだのだろう。我々が怖いのは、己の命を奪うものの正体が何なのか知る由がないからだ」
ほとんどの場合、生き物は自分がなにに命を奪われるのかわからぬまま死んで行きます。
でもありがたいことに、自分の命を奪うものの正体と、自分の運命の正体は違います。
何が言いたいのかというと、
自分の命を奪うものの正体には勝てないけれど、自分の運命の正体に勝つことはできる、ということです。
自分の命をとるものの正体を知ることも、そいつをやっつけることも、有限の命である限り所詮無理ですが、人生においてそれは重要ではありません。負わされた運命にいかに命を懸けていくかということのほうが大事です。
そして、ちゃんと運命の正体が判明して立ち向かうことが出来た人は、死の恐怖に捕らわれることはなくなるとおもいます。
多分きっと、我々が一番怖いのは、自分の『運命の正体』がわからぬまま死んでしまうことです。
でもマリアナに沈んだみんなは、思いにそれぞれ違いがあっても、『運命の正体』を見つけられたんだとおもいます。何のためにここにいるのか、その疑問は彼らはもう、解消していると思います。
まっつんたちは、読んでる私達は、まだ手に出来てない答えを、彼らはもうつかめてるはずだと思います。
なにがどうなって艦が沈んだのか、それはきっとわからぬままだけど、そんなことはもうどうだって良いことなんだとおもいます。
もうひとつ。
運命に絡む因子の中に、ソウルメイトって言葉があります。
生まれ変わったらなんやかんやと関わりになりあう『魂のグループ』なんだそうです。親子になったり、同僚になったり、近所のおばちゃんだったり・・・その関係、内容はさまざまに変わるんだそうです。そんで面白いのは、必ずしも仲良しとは限らないということ。
一回こっきりの関係で終わりそうな人、別に重要な関係でない人、嫌な人、迷惑な人も。
生まれ変わってもなんやかんやの関係で出会うことになるんだそうです。
この間、驚くことがありました。
昔、ある患者さんの受け持ちになりました。
私が最初から最期まで看る事が出来た、数少ない患者さんです。
その患者さんの奥さんが、旦那さん想いのすごく素敵な人で、いっぱい打ち明け話をしてくれて、旦那さんの予後を思って一緒に消灯後の待合室で泣いたりもした人でした。
その患者さんの最期にも奇跡的に立ち会うことができました。でもそのあとは、奥さんに会うことはなく、もうプッツリと互いに切れた関係になりました。
ところが10年近くたったある日、今の職場で思いがけなくばったり彼女と再会しました。
牛乳配達のおばちゃんをしてるとかで、たまたまこの職場が彼女の担当だったのです。
繋がりが復活したことに驚きと感動を強烈に感じました。
多分この再会は、ものすごい確立の上に成り立ってるんだと思います。
でも、なにか切れない糸みたいなものを感じざるを得ませんでした。
多分ここで分かれることがあっても、またどこかで会うんでしょう。
約束もなく、電話番号はおろか、お互いどこに住んでるかもわからないんだけど、多分長い旅路のなかで、また思いがけず、「おう!久しぶり!」と会うことができる人。多分次の世界でもどこかで会える人。
あの人がそうかもしれないし、あの人かもしれない。今は遠くに住んでいるけれど、次は近所はおろか、親子で出会えるかもしれない・・・・そう思うと、なんだか勇気と元気がわいてきます。
私は輪廻転生とか宗教的、スピリチュアルなことはよくわからないんですが、なんかあるんだろうな~と思わざるをえないことが、自分の周りには転がっています。
現実世界でもこんな事があるんだもの。
きっと、みんな、また一緒になれる日がくる。
家族と笑って会える。
・・・・・・・そう思います。